長崎ペーロン選手権 2010 明日長崎一がキマル
中学校。職場対抗。女性チーム。の順位が決定しました。
無料の観覧船が大波止から運航されていたので利用しました。
軍艦島クルーズを行っているやまさ海運さんの船です。
快適なのですが・・・・。
写真を撮るとなると。やっぱり遠いのです。
400ミリ+EXTENDERで狙ってる方がいました。
Jrも一緒だったので、本会場のほうへは行かず。
船の上から。明日の下見がてらに。
« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »
中学校。職場対抗。女性チーム。の順位が決定しました。
無料の観覧船が大波止から運航されていたので利用しました。
軍艦島クルーズを行っているやまさ海運さんの船です。
快適なのですが・・・・。
写真を撮るとなると。やっぱり遠いのです。
400ミリ+EXTENDERで狙ってる方がいました。
Jrも一緒だったので、本会場のほうへは行かず。
船の上から。明日の下見がてらに。
ロシアの訓練船。
学生が埠頭側に鈴なりで休んでいる。
訓練となると手際よく働いた。
作業が終わるとまた同じように・・・。
その視線の先には・・・・・。若い女の子。
船の上から眺めてたんだ。
お茶目な姿。
だらけ具合がなんとも・・・・。
もしかして長崎の暑さにバテてるの?。北国育ちの男の子たち。
海王丸の一般公開。
学生さんたちが常に清々しい笑顔と挨拶で出迎えてくれました。
下船口のところにいたイケメン二人。
一声掛けてからシャッターを切った。
その前に黙ってシャッターを切ったのが数カット。
写されていると判ると、緊張した様子。
無警戒な表情はどれでしょう。
最後に ありがとうございました。 と二人揃って敬礼してくれました。
海に似合う、爽やかな好青年(死語かな)でした。
帆船まつりの明日は出航の日。
最後の勇姿を眺めに出かけました。
日本丸・海王丸
ロシアからパラダ・ナジェジュダ
韓国からコリアナ
長崎のフェイファン。ハウステンボスから観光丸。
パラダ・ナジェジュダ・観光丸。
いずれも幕末の時代に海を駆けた伝統のある名前を持つ艦船たち。
長崎に集結。
エラー発生して、表示できない画像がたくさんあります。
そろそろバックアップしなけりゃと思っていた矢先。
サボっていた。結果。
エラーは一瞬。
暑中お見舞い申し上げます
ちょっと気の早いコスモスが咲いていました。
WINDOWSのペイントで文字いれ。
ちょっと文字が小さかった。(;´д`)トホホ…
一度決定してしてしまうと調整が効かない。
ハスの花は朝から開いて午後からは萎むそうです。
そういえば、午後から行ったときに開いていたのは、萎む元気のないものばかり。
街の開発で忘れ去られてしまっていた場所。
清風亭跡。
龍馬伝で再び脚光を浴びる日が来ました。
亀山社中の坂本龍馬と土佐藩の後藤象二郎がここで会談しました。
二人の利害が一致し、手を取り合ったこと。
歴史を大きく動かす重要な出来事だったと思えます。
当時はどんな佇まいの料亭だったのでしょう。
大体のポイントはこんなところですかね。
白バズーカみたいなレンズが並ぶのは、①スタート地点の岸壁です。
スタートと同時に揚がる水しぶきが狙えます。
選手の表情も撮りやすいと思います。
折り返し後のゴールを目指し、必死に漕ぐ姿も狙えます。
船がカメラに向かって進んでくるように狙います。
逆光となりますので、挙がる水しぶきもきれいです。
②フナ溜りは選手が乗り降りする桟橋があります。
若者の試合後の活き活きとした表情が狙えます。
ずぶ濡れの選手たちに出会えます。
④観客席が設けられます。
500円だったかなぁ。特等席ですが・・・。屋根がありません。
岸壁には各チームの控えテント。地区の応援テン
トが張られます。
応援席で応援する姿もいいかも。
スタートラインに着く前の準備運動と最後の調整を兼ねて応援席の前を通る船もあります。(ピンク線のルート)
1位から3位までは順位旗がもらえます。
それを船に掲げて応援席前に出てきたりもします。
結構そばを通ります。
喜んだ表情が撮れるかも。
戦いを終えた船がクレーンで吊り上げられるところです。
トラックに載せられて帰ります。
長崎港口のチームはそのまま漕いで帰ったりするところもあります。
最後に、大波止桟橋からは洋上観戦の船が出ていたりします。
(無料)
会場近くの駐車場が満車の場合がほとんどだと思います。
全国ペーロン選手権大会と言うみたいね。
去年は大雨の中。
深堀チームが見事。頂点を極めました。
荒れた長崎港で長崎一を競い合いました。
コンディションの悪さが響き思わしくない結果に涙したチームも。
今年はどうでしょうか?
大会タイムスケージュールは画像をクリック。↓
あまりの暑さにプールへ出かけた。
梅雨明け宣言したらこれまでの厚い雨雲はどこへやら。
台風が発生しています。
大河ドラマ 龍馬伝で上野彦馬役をテリー伊藤さんが務めると発表がありました。
銀屋町にある上野彦馬の生誕の地を訪ねてみました。
それまでの露出時間は1分以上とも。30分くらいとも。諸説あります。
近代写真の祖。上野彦馬さんが生まれた場所がここです。
上野彦馬は、天保9年(1838)、銀屋町16(現、長崎市銀屋町)に生まれた。父・俊之丞は、長崎奉行所の御用時計師で、ダゲレオタイプ・カメラ(銀板写真機)を日本で初めて輸入した。彦馬は 16歳から広瀬淡窓の私塾・威宜園で漢字を学び、その後、長崎に戻り、オランダ海軍医ボンペのもとで舎密学(化学)を学んだ。このとき湿板写真術に興味を示し、津藩士堀江鍬次郎とともに、フランス人ロッシェについて、写真術を学んだ。
文久2年(1862)、彦馬は、中島川湖畔に商業写真館・上野撮影局を開設。高杉晋作ら著名人の肖像や各地の風景を撮影し、貴重な写真を後世に残すとともに、多くの門人を育成し、わが国写真業界の基礎を築いた。
また、明治7年(1874)金星観測の写真撮影に参加。さらに明治10年(1877)には西南の役に従軍し、日本初の従軍写真家として活躍し、明治37年(1904)65歳でこの世を去るまで写真技術の発展に多大な功績を残した。
偉大な写真家ですね。
7月の15日は矢上の八幡神社のおまつりです。 祇園さんまつりと地元の方々に親しまれて祀られているようです。
ここ矢上は長崎街道の宿場街がありました。
峠を越えるといよいよ天領長崎の街でありました。
矢上八幡神社の大クスが2本生える境内です。
時代を感じさせてくれる風情が残っています。
説明板があったのですが、暗くてよく映りませんでした。
お神酒をいただいてヘロヘロに。
葉っぱの上で踊ります。
あんまり集まりすぎて大きな水玉になると、葉っぱが頭をさげてボチャン。
端っこを持ち上げてこぼさないようにコロコロ。
突然の風でコロコロ。ポチャン。
離れようとしません。楽しいのでしょう。
突然の訪問者です。
小さなクワガタでした。
箱に入れていたら。
夜中にゴソゴソ這い出て、ぶ~~ん。
元気に部屋の中で飛んでいました。
で、朝には元の箱のそばにいました。
明るい時は動きが鈍いく油断していました。
夜になると活発に動いて。
夜行性の性質を十分に発揮した感じです。
行方不明にならなくて良かった。
カゴにでも入れないとなぁ。
7月4日ははす祭りが開催されていました。
午前中は生憎の雨。
はす園についたのは4時過ぎ。
祭りは終わっていて、撤収作業中でした。
全体に霧が発生していて、太陽も出ていませんでした。
足元はぬかるんでいました。
セナさん。HRTのシートを降ろされてしまいました。
代わって日本人の山本左近がステアリングを握る。
彼のドライビングセンスはどうだろ?
画面の中に、たくさん咲いて見えるように高さと角度を調整したりして・・・・。
がんばってみました。
満開の時はどれほどすばらしいのだろう。
のんびり旅も無事。鹿児島駅に到着。
訪れた6月12日に梅雨入り宣言してました。
鹿児島市内は夕方前から本格的に雨が降り出しました。
これでは、予定していた白熊も諦めるしかありません。
駅ビルのグルメ横丁。おみやげ横丁。をブラブラ。
薩摩揚げやかるかん。試食をたくさん勧めてくれます。
薩摩揚げの試食には驚いた。
一本そのまま。食べていいという。
鹿児島の人は気前がいい。
揚げたての薩摩揚げは美味しかった。
かるかんのお店もたくさんありました。
お店によって、それぞれ特徴があるんですね。
青柳・蒸気屋・とらや・風月堂のかるかんを購入。
長崎のカステラも同じですね。
並べて食べ比べてみれば違いが判ります。
それぞれの店の味があるわけです。
昔の駅の看板です。
霧島温泉駅は以前は きりしまにしぐち駅と呼ばれていました。
この駅から、坂本龍馬とお龍さんの像が立っている塩浸温泉へはタクシーで10分ほど。
乗務員さんと乗り継ぎなどを相談。
この駅で降りると、あとの乗り継ぎは、
嘉例川16:22→16:40隼人17:17→鹿児島中央18:01
or
嘉例川17:12→17:30隼人17:31→鹿児島中央18:12となる模様。
16:39に鹿児島中央着が大幅に遅れてしまいます。
う~~~~ん悩むところ。
雨も降っているし。
ちょっと疲れも溜まってきていたので。
優しい乗務員さんとはやとの風でそのまま終点まで楽しむとしました。
塩浸温泉は次回へのお楽しみ。
にっぽん木造駅舎のたび 嘉例川駅
第二次大戦中の機銃掃射の跡がのこる柱がありました。
駅前には赤い昔ながらのポストが見えます。
正面から撮りたかった。
列車の本数が多ければ、一つあとの便にずらす事も出来るけど。
1日数本だと、明日になっちゃう。
にっぽん木造駅舎のたび 大隅横川駅
真幸駅
幸せになれるという鐘があります。
真の幸せを求めて、鐘には早くも列ができています。
みんなが鳴らせるようにちょっと長目の停車。
おば様に手伝ってもらってやっと鳴らせたJrでした。
ありがとうございました。
にっぽん木造駅舎のたび 真幸駅